労務

退職時に引継ぎを拒否された場合の会社側の対応と予防策

広島法律事務所 所長 弁護士 西谷 剛

監修弁護士 西谷 剛弁護士法人ALG&Associates 広島法律事務所 所長 弁護士

  • 引継ぎ拒否
  • 退職

従業員が退職する場合、当該従業員が担当していた業務について引継ぎをしなかった場合、会社としては当該業務に関する情報が失われ、顧客の喪失といった事態につながる可能性もあります。

以下では、引継ぎ拒否に対する予防策や引継ぎ拒否をされてしまった場合の対応策について解説していきます。

退職時に引継ぎを拒否された場合の会社側の対応

引継ぎを拒否した元従業員へ損害賠償請求が可能な場合も

従業員が、業務の引継ぎを拒否したことで会社に損害が生じた場合には、会社は当該従業員に対し、債務不履行に基づく損害賠償請求をすることができる場合があります。

従業員は、退職するまでは当然会社の従業員として会社から命じられた業務を行う義務があります。すると、退職までに会社から業務の引継ぎを命じられていたような場合には、当該従業員は業務の引継ぎを行う義務が発生していることになります。それにもかかわらず、引継ぎをしなかったのであれば、この義務に違反しているとして損害賠償請求ができる可能性があります。

なお、このような退職時の業務の引継ぎについては、就業規則により定めている例も多くあります。

引継ぎ不履行で損害賠償請求が認められるケースとは?

それでは、引継ぎがされず会社に損害を与えたとして損害賠償請求が認められるのはどのような場合でしょうか。 このような場合としては、

①引継ぎがされない業務についての情報を当該従業員しか持っておらず、そのことを当該従業員も分かっていたのに、あえて必要な引継ぎをせずに退職し、会社に損害が発生したような場合
②緊急性がある案件で、引継ぎがなされなければ滞りなく業務が実行できないのに、退職する従業員がそのことを認識しながらも正当な理由なく引継ぎを拒否し会社に損害を与えた場合 が考えられます。

このように、退職する当該従業員が引継ぎを行わないことによって会社に損害が生じることを分かっていたような場合には、損害賠償請求が認められることがあるでしょう。ただし、会社に生じた損害の全てを当該従業員に対し負担させるとの主張が認められる可能性が低いことには注意が必要です。

有給休暇の消化を理由に引継ぎが行われない場合の対応

退職時の引継ぎが適切に行われない事情の一つとして、退職する従業員が有給休暇を使用して退職日まで出社しないということが挙げられると思います。このような場合、当該有給休暇の使用を認めないとすることはできるのでしょうか。

結論からいうと、このような有給休暇を認めないとすることはできません。確かに、会社には従業員に対し従業員が指定した有給休暇の時期を変更する時季変更権(労基法39条5項)が認められています。しかし、この時季変更権は、ほかの時季に年休を与えることを前提にしたもので、退職してしまう場合には他の時期に年休を与えることができないので、これを行使することはできません。

したがって、会社としては、上述した引継ぎ義務の存在等を根拠に、当該従業員に対し退職時期の延長の交渉などを行い、業務の引継ぎをしてもらうことになります。

そもそも退職時の引継ぎを命じることはできるのか?

「引継ぎしないと退職させない」とすることは可能か?

冒頭で述べたように従業員が退職時に引継ぎをしないと、会社に対し重大な損害が生じかねないのはその通りですが、引継ぎをしない限り退職を認めないとすることは違法と判断される可能性があります。

従業員には、職業選択の自由(憲法22条1項)の一つとして退職の自由が保障されており、さらに使用者は、労働者に対し強制的に労働をさせることができないからです(労基法5条)。

引継ぎが十分に行われない場合の企業リスクとは?

引継ぎが十分に行われない場合の企業リスクとは、例えば、業務遂行に必要な情報等が特定の人物に集中しており、その人物が引継ぎをせずに退職してしまった結果、取引先等のデータが失われ、業務遂行のレベルが落ち、取引先等からの信用を喪失するといったものが挙げられます。

従業員に業務の引継ぎを拒否されないための予防策

就業規則の懲戒事由に規定する

従業員に業務の引継ぎをするように説得するために、就業規則に退職時の業務の引継ぎについて定めを置いたうえで、就業規則の懲戒事由の一つとしても業務の引継ぎについての定めを置くのが有効でしょう。

このような規定がなくても、当該従業員に対し業務の引継ぎを命じることはできますが、就業規則にこのような引継ぎの規定があった場合には、当該従業員としても業務の引継ぎについて納得する可能性が高くなります。

したがって、就業規則にこのような規定を置いたうえで、当該従業員に対し業務の引継ぎを行うように説得するのが良いでしょう。

業務の引継ぎを退職金支給の要件にする

従業員に業務の引継ぎを説得するにあたっては、就業規則の懲戒事由に退職時の業務引継ぎを加えるほかにも、業務の引継ぎを退職金支給の要件にすることが有効です。

なお、このように業務の引継ぎを退職金支給の要件にすることについては、法律上何ら制限はされておらず、当事者の任意に委ねられています。実際に裁判例においても、退職届の提出後、一定期間実際に勤務をしなかった者には退職金を支給しない旨が規定されている就業規則が有効と判断されたものもあります(大阪地判昭57.1.29)。

退職の予告期間を長めに設ける

また、就業規則において退職の予告期間(従業員が退職届を提出した後、実際に退職の効力が生じる日までの期間をいいます)を長めに設けることで、引継ぎのための期間を用意することも考えられます。

ただし、このように退職の予告期間を長めに設けることは、法的に無効と判断される可能性があります。実際に、期間の定めのない雇用契約が締結されていており、退職の予告期間を30日(法的には、退職届を提出してから2週間経過した時点で退職が認められることになります(民法627条1項))とする就業規則を定めた場合、当該就業規則の効力については疑義があると判断されたものもあります(福岡高判平28.10.14)。

従業員が引継ぎしやすい職場環境をつくる

ここまで、従業員に対し業務の引継ぎを行うように説得する方法について解説してきましたが、最終的には当該従業員が自発的に業務の引継ぎを行えるように、引継ぎをしやすい職場環境を作ることが肝要になります。

具体的には、日ごろから業務に関する情報等の記録化を義務付けることが考えられます。従業員が退職時の引継ぎに対し抵抗感を示す要因の一つとしては、引継ぎ資料作成の煩雑さが考えられます。しかし、日ごろから業務に関する情報等の記録化を徹底していれば、退職時に煩雑な引継ぎ資料を作成する必要もありませんから、業務の引継ぎに対する抵抗感を抑えることができるでしょう。

その他にも、従業員間の風通しのよい職場環境を維持することが考えられます、風通しの良い職場環境であれば、従業員同士がどのような業務を行っているのか把握できるため、引継ぎの際に大量の資料等を作成する手間は省くことができ、従業員の引継ぎ業務への抵抗感を抑えることができるでしょう。

退職時の業務引継ぎが争点となった裁判例

以下では、業務引継ぎ等をせず突如退職したという事案の裁判例についてご紹介します。

事件の概要

本件は、インテリアデザインの企画設計等を目的とする有限会社であるXに入社したYが、入社後1週間で突然病気を理由に退職してしまい、この結果Yが担当していた取引先との契約が破談になってしまい、破談になったことで少なくとも1000万円の得べかりし利益をXは失ったという事案です。

裁判所の判断(事件番号・裁判年月日・裁判所・裁判種類)

裁判所は、契約が破談になったことでXは1000万円の得べかりし利益を失ったと認定しました。しかし、Yに対する給与あるいはその余りの経費を差し引けば実損害はそれほど多額なものではないこと、XはYの人物、能力等につきほとんど調査することなく、紹介者の言葉を信じただけであること、期間の定めのない雇用契約においては一定の期間をおけばいつでも自由に解約できるのであり、XがYに対し責任追及できる期間が限定されることなどの事情から、信義則を適用して賠償額を限定するのが相当として、Yに対し70万円の賠償を命じました(東京地判平4.9.30)。

ポイント・解説

本裁判例の事案では、取引先は、男性社員に担当させることを条件にXと取引をしようとしており、当時XにはY以外に男性社員は存在していませんでした。このような事情から、本裁判例では、特段問題なくYが引継ぎ行為等をせず突然退職したことによりXに損害が発生したと認められたと考えられます。このため、本裁判例をもって、引継ぎ行為をせず突然退職した従業員に対し損害賠償請求をできると安易に考えることはできないといえるでしょう。

また、本裁判例は、上述の通り取引先との契約が破談になったことで1000万円の損害を生じたと認定しつつも、期間の定めのない雇用契約の解約は一定の期間をおけばいつでも解約できるとして、解約の効力が生じるまでの期間の損害についてのみYに対し請求できるとしています。

この他にも、Xが、Yの人格や能力等をきちんと調査しなかった点を指摘して、上記1000万円の損害の内、Xに請求できるのはその一部であるとの判断を導いています。この本裁判例の判断は、信義則を根拠に賠償額の支払いを減額し、当事者の利害を調整する中間的な解決を与えるというものであり、今後も同様の判断を裁判所が行っていく可能性は十分にあります。

引継ぎを拒否されない場合の対処法や予防策について弁護士がアドバイスいたします。

ここまで解説してきたように、適切な引継ぎがされないと会社に対し重大な損害が生じる可能性がある一方、当該従業員に対し損害賠償請求をすることでその損害を回収することは難しいといわざるを得ません。したがって、会社としては引継ぎがされないことによる損害を防ぐべく、適切な引継ぎがされるような環境の整備を行うことが重要です。

適切な引継ぎがされる環境の整備を行うにあたっては、労務関係の専門家である弁護士に相談することをお勧めします。

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広島法律事務所 所長 弁護士 西谷 剛
監修:弁護士 西谷 剛弁護士法人ALG&Associates 広島法律事務所 所長
保有資格弁護士(広島県弁護士会所属・登録番号:55163)
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