監修弁護士 西谷 剛弁護士法人ALG&Associates 広島法律事務所 所長 弁護士
雇用者と雇用契約を締結する際、口頭で行ったりしていないでしょうか。仮に口頭で済ませてしまうと、会社と雇用者との間で労働条件について共通の認識ができておらず、後々「言った。」「言わない。」のトラブルが生じるかもしれません。
本コラムでは、雇用契約書がない時に起こるトラブルについて解説していきます。
Contents
雇用契約書がない時に起こりうるトラブルにはどのようなものがあるか
雇用契約書は、使用者と雇用者との間で雇用契約を結ぶ際、意思の合致があったことを客観的に残すために作成されます。したがって、雇用契約書を作成していないと、使用者と労働者との間で労働条件の認識に齟齬が生じやすくなり、例えば試用期間や賃金等に関するもののように労働条件に関するトラブルが発生しやすくなります。
雇用契約書がないことは違法なのか?
雇用契約は書面で行うことまで法律上要求されていませんから、雇用契約書がないからといって直ちに違法にはなりません。しかし、雇用契約書がないことで上述のようなトラブルが生じやすくなるので作成しておくことが望ましいです。
そもそも雇用契約書とは
雇用契約を締結するにあたっては、雇用契約書という書面でこれを行うことまで法律上定められてはいません。しかし、労働契約法は、「労働者及び使用者の自主的な交渉の下で、労働契約が合意により成立し、又は変更されるという合意の原則」(同法1条)が雇用契約の基本理念であることを明示しています。
そして、同法はこの理念を現実のものにするため、同法4条で、使用者及び労働者に対し労働契約の内容についてできる限り書面により確認することを求めています。この書面が、雇用契約書を指しています。
「労働条件通知書」とは何が違うのか?
雇用契約書と似たものとして「労働条件通知書」があります。どちらも労働条件の記載がされている点では同じです。しかし、労働条件通知書は労働条件の中でも、特に重要な事項について記載したものであり、労働基準法15条1項後段、労働基準法施行規則5条4項に基づき使用者から労働者への書面交付が義務付けられるものです。
このように雇用契約書と労働条件通知書とでは、記載される労働条件の項目及び書面交付が義務付けられるかという点で異なってきます。
雇用契約書に法的義務はなくても労働条件の明示義務はある
ここまで解説してきた通り、雇用契約書を作成・交付する法的義務は存在しません。しかし、使用者は、雇用者に対し労働条件の明示義務があります(労働基準法15条1項)。雇用契約書や労働条件通知書を作成・交付することなく、労働条件を明示していないような場合には以下のような罰則を受ける可能性があります。
労働条件を明示していない場合の罰則
労働条件明示義務に違反した場合には、事業主及び行為者は30万円以下の罰金に処せられる可能性があります(労働基準法120条1号、同法121条)。この他にも罰則ではありませんが、労働基準監督署から是正勧告または指導を受ける可能性もあります。
雇用契約書で明示が必要な労働条件とは?
それでは、雇用契約書に労働条件を記載するとしてどのような労働条件の記載が必要なのでしょうか。 法律上、使用者が雇用者に対しいかなる場合においても絶対に明らかにするように求めている事項は以下の13個です。
- 労働契約の期間
- 就業の場所(就業の場所の変更の範囲含む)
- 従事する業務の内容(従事すべき業務の変更の範囲含む)
- 業務の始業時間・終業時間
- 所定労働時間を超える労働があるかどうか
- 休憩時間
- 休日
- 休暇
- 交代勤務を行う場合の交代に関する事項
- 賃金の決定、計算、及び支払いの方法
- 賃金の締切り、支払いの時期
- 昇給に関する事項
- 退職に関する事項(解雇の事由を含む)
以上の労働条件については、法律上明示が義務付けられており、義務的明示事項とも呼ばれます。雇用契約書には、基本的にはこれらの絶対的記載事項を記載・明示しておけばよいでしょう。
もっとも、
- 退職手当の定めがある場合
- 賞与等の定めがある場合
等、一定の場合には上記絶対的記載事項に加えて、退職手当の決定等の相対的記載事項と呼ばれる労働条件を明示することが必要になる可能性があります。
雇用契約書を作成するにあたって注意すべき点
雇用契約書は、使用者が一方的に通知する労働条件通知書とは異なり、使用者及び雇用者の双方の意思が合致したことを客観的に裏付けるものとして双方の署名、捺印がされ作成されます。したがって、雇用契約書を作成するにあたっては、法律上明示が要求される上記義務的記載事項に加え、賞与や退職手当など今後トラブルが予想される事項についても盛り込むとよいでしょう。
もっとも、正社員、契約社員等雇用形態ごとに今後トラブルが予想される事項は異なりますので、以下では雇用形態ごとに注意すべき点を解説します。
正社員と取り交わす場合
多くの会社の場合、就業規則が整備されており詳細な労働条件については就業規則に委ねることが多いと思います。もっとも、個別の労働条件について就業規則と異なる定めをしたいという場合には、後述の通り就業規則の最低基準効を意識しつつ慎重に内容を定めないと、せっかく異なる定めをしたのに無効になりかねないので、注意が必要です。
なお、最近の法改正で、将来の配置転換等で変わりうる就業場所及び業務の変更の範囲についても法律上雇用者への明示が必要になります(労働基準法施行規則5条1項第1号の3)。この改正法は 令和6年4月1日から施行になるので注意しましょう。
契約社員と取り交わす場合
契約社員とは、有期雇用労働者のことをいうと考えられます。有期雇用労働者とは、事業主と期間の定めのある労働契約を締結している労働者を意味します(パートタイム・有期雇用労働法2条2項参考)。
会社は、雇用者との間で労働契約を更新する可能性がある有期労働契約を締結する場合には、更新するか否かを判断する際の基準を明示する必要があります(労働基準法施行規則5条1項第1号の2)ので、この点についても雇用契約書で明示しなければなりません。
また、このような場合の労働条件の明示については、最近法改正があり、上述した更新するか否かの判断基準に加え、通算契約期間の内容、更新回数の上限の有無及びその内容の明示が必要とされています。この改正法は、令和6年4月1日から施行されるので、これ以前に作成した雇用契約書のひな型を用いようとする際は気を付けましょう。
パート・アルバイトと取り交わす場合
パート、アルバイトは、正社員に比して、一週間の所定労働時間が短い労働者を意味すると思いますが、この場合短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律2条1項にいう「短時間労働者」に当たる可能性があります。
同法の「短時間労働者」に当たる場合には、会社は、パート・アルバイトとして雇い入れる者に対して、昇給、退職手当等の一定の事項(短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律施行規則2条参考)について、基本的には文書で交付して明示することが求められます(短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律6条)。
このため、これらの一定の事項についても雇用契約書に盛り込んでおくとよいでしょう。なお、この明示義務に違反した場合には、10万円以下の過料を受ける可能性があります(短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律31条)。
外国人と取り交わす場合
一般的に雇用契約は、使用者と雇用者との間で意思が合致することによって成立します。上述のように雇用契約書はこの意思の合致があったことを客観的に裏付けるものではありますが、雇用契約書があったとしても、外国人が雇用契約の内容を理解せずに署名捺印をしたという事情があれば、意思の合致がないとして後々雇用契約の成立自体が認められない可能性も出てきます。
このため、署名捺印をする前に、雇用者である外国人がきちんと契約内容を理解しているのか確認することが重要です。
試用期間を設ける場合
試用期間を設ける場合、試用期間といった事項について明示する必要があります。もっとも、既に就業規則がありその中に試用期間の定めがあるような場合には、就業規則記載の試用期間と雇用契約書記載の試用期間にずれが生じないようにしましょう。
仮に就業規則記載の試用期間が、雇用契約書記載の試用期間よりも短いような場合には、後述の通り就業規則の効力が優先され、雇用契約書記載の試用期間の合意が無効になってしまいます。
雇用契約書と就業規則の関係について
それでは、就業規則は雇用契約書にどのような影響を与えるのでしょうか。
まず、就業規則で定められた労働条件が、雇用契約書で定められた労働条件に比して雇用者に有利な場合についてみていきましょう。この場合、雇用契約書で定められた労働条件の内、就業規則で定められた労働条件に達しない部分については無効となります(労働契約法12条)。これは就業規則の最低基準効と呼ばれる性質によるものです。
このような場合の具体例としては、上述したような、就業規則記載の試用期間よりも雇用契約書記載の試用期間が長かったような場合が考えられます。
つぎに、逆に就業規則で定められた労働条件が、雇用契約書で定められた労働条件に比して雇用者に不利な場合についてみていきましょう。この場合、雇用契約書で定められた労働条件の内容が就業規則で定められた労働条件に必ず修正されるということはありません。
なぜなら、労働契約法12条は、雇用契約等の際定められた労働条件が、就業規則で定められた労働条件に比べ不利な場合、就業規則記載の労働条件に修正することを定めているにとどまるからです。
ここまでをまとめると、基本的には
- 就業規則記載の労働条件が雇用契約書記載の労働条件を上回る場合は、就業規則記載の労働条件になる。
- 就業規則記載の労働条件が雇用契約書記載の労働条件を下回る場合は、就業規則記載の労働条件に絶対になるとはいえない。
ということになります。
雇用契約書の有無が争点となった裁判例
ここまで解説してきたように雇用契約書は、〇〇という労働条件で雇用することを双方が合意したということを裏付けるものです。したがって、雇用契約書の有無それ自体が争点になるのではなく、会社と雇用者との間で合意した労働契約の内容自体が争点になり、雇用契約書がその主張を裏付ける証拠として提出されることが多いでしょう。
具体的なケースとして、固定残業代制度を採用している会社で、「固定残業代制度はおかしい。未払いの残業代を払ってほしい。」と雇用者が主張している場合を考えてみましょう。
実務上、固定残業代制度を採用している場合、会社としては、時間外労働等の法律が定める割増金額が支払われているか判断できるように、通常の労働時間の賃金部分と割増賃金相当部分を区別できるようにしなければならないとされます。
すなわち、このケースでは会社が採用する固定残業制度について、通常の労働時間の賃金部分と割増賃金相当部分が区別できているかが判断の別れ目になります。
例えば、雇用契約書に〇時間分の固定残業代(〇〇万円)という記載があることは、上記「区別できている」ことを肯定させる事情として斟酌される可能性があります。
事件の概要
被告会社が採用していた固定残業制度の有効性が問題となった裁判例です。
被告会社は、固定残業制度を採用し、被告への雇用契約書においても基本給に80時間分の固定残業代(8万8000円ないし9万9400円)が含まれることを明示していました。
原告は以下のように主張しました。 「本件雇用契約に固定残業代の定めが存在するとしても,これが有効とされるためには,その旨が雇用契約上,明確にされていなければならず,また,給与支給時にも固定残業代の額とその対象となる時間外労働時間数が明示されていなければならないところ,原告が受領した給与明細には,基本給に含まれる固定残業代の額及びその対象となる時間外労働時間数が記載されておらず,通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外労働の割増賃金に当たる部分を判別することができない。」
裁判所の判断(事件番号・裁判年月日・裁判所・裁判種類)
これに対し、裁判所は以下のように判断しています。
「原告は,固定残業代の定めが有効とされるためには,その旨が雇用契約上,明確にされていなければならず,また,給与支給時にも固定残業代の額とその対象となる時間外労働時間数が明示されていなければならないところ,原告が受領した給与明細には,基本給に含まれる固定残業代の額及びその対象となる時間外労働時間数が記載されておらず,通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外労働の割増賃金に当たる部分を判別することができないと主張するが、……、被告は,本件雇用契約における基本給に80時間分の固定残業代(8万8000円ないし9万9400円)が含まれることについて,本件雇用契約書ないし本件年俸通知書で明示している上,給与明細においても,時間外労働時間数を明記し,80時間を超える時間外労働については,時間外割増賃金を支払っていることが認められ,基本給のうち通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外労働の割増賃金の部分とを明確に区分することができるから,原告の上記主張は採用することができない。」
ポイント・解説
裁判所は、通常の労働時間の賃金部分と割増賃金相当部分を区別できるかの判断に当たり、雇用契約書に80時間分の固定残業代(8万8000円ないし9万9400円)が含まれることが明示されていた事情を斟酌しています。
このように、雇用契約書に固定残業代の価額及び時間数を記載することは、基本給のうち通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外労働の割増賃金の部分とを区分できるかの判断に重大な影響を及ぼします。
ただし、同事件の控訴審において、固定残業80時間とすることは公序良俗違反で無効と判断されていますから、あまりに長時間の固定残業代を雇用契約書に記載することはできないことに注意しましょう。
労使トラブルを回避するためにも雇用契約書は必要です。不明点があれば一度弁護士にご相談下さい。
雇用契約書を作成し労働条件を明確にしておくことで、後々「言った」「言わない」の労使間トラブルを避けることが可能です。
もっとも、雇用契約書を作成したとしても、上述の固定残業制度のトラブルのケースのように完全にあらゆるトラブルを防げるわけではありません。しかし、雇用契約書を作成しておけば上記のようなトラブルの際にも、主張を裏付ける証拠として提出できるなど大きなメリットがあります。
労務分野に深い理解を持つ弁護士であれば、状況に合わせ適切な雇用契約書の作成をサポートすることが可能です。ご不安点があれば、まずは弁護士までご相談ください。
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